福岡俘虜収容所第2分所

このプロジェクトは、長崎の市民の方々が抑留中に死亡した連合軍捕虜のための追悼記念碑を建立することを発案した2014年にスタートしました。日蘭イ対話の会はこの民間活動に協力を申し出、この追悼記念碑実現のため、蘭印に関わりのある人々に寄付を呼びかけました。

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(2015年9月13日、福岡第2分所追悼記念碑除幕式において日蘭イ対話の会を代表してタンゲナ鈴木由香里、アンドレ・スクラム両氏が献花を行う様子)

福岡第2分所追悼記念碑(Fukuoka-2 memorial) というドキュメンタリーと本の出版をし、2016年にこのプロジェクトは終了しました。長崎にあった福岡第2分所は第二次世界大戦中、多い時でおよそ1500人の連合軍の捕虜を収容していた捕虜収容所でした。捕虜の中にはオランダ人、蘭領印度人も多く、造船所で使役されていました。

「固まった涙:1942−1945年の福岡俘虜収容所第2分所の戦争捕虜を追悼して」ラウレンス・ファン・アッヘレン著

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https://www.we-publishing.nl より注文可能

福岡俘虜収容所第2分所は戦争中に日本にあった収容所の中で最も大きなものの一つでした。収容所には最大でおよそ1500人の、主にオランダ、イギリス、アメリカ、オーストラリアの捕虜が収容されていました。

「固まった涙」では、ここで過酷で非人道的な環境で何年も強制労働させられた数百人のオランダ人についてや、1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下され、その後捕虜たちが解放された話について書かれています。元捕虜の遺族や子供、孫たちの中には、未だにこの苦しみから解放されていない人たちがいます。

収容所で抑留された全ての人たちのための記念碑が建立され、2015年9月13日に除幕式が行われました。この記念碑はとても特別なものです。記念碑を建立しようという動きは日本の一般市民の方々から始まったのです。この和解への意思表示は、まだ生存している当事者、そして彼らの子供や孫たちにとってもとても大きな意味を持つものです。

以下のドキュメンタリービデオ では、記念碑の除幕式の様子がご覧いただけます。また、遺族と、戦争を生き延びた一人の元捕虜が、かつて収容所があった場所を訪れた時の様子もご覧いただけます。

サブプロジェクト QRコード

2016年には、長崎の福岡第2分所追悼記念碑の隣にQRコードが設置されました。

記念碑を訪れる方達に収容所の歴史についての情報を提供するため、記念碑の設置者と話し合い、日本語、英語、オランダ語の情報にアクセスできるQRコードを設置しました。

Fukuoka 2 Memorial (English/Japanese)

サブプロジェクト QRコード

Geplaatst door Stichting Dialoog Nederland-Japan-Indonesië op vrijdag 13 april 2018

福岡第2分所のあった場所とその歴史についての仮想ツアーです。収容所があった場所は、現在では香焼中学校となっています。記念碑に設置されたQRコードをスマートフォンでスキャンすれば、このビデオにアクセスすることができます。

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このプロジェクトは、Vfondsの助成により実現されました。